Archive for the ‘日本’ Category

紺屋豆腐(凍り豆腐)

Posted on 3月 10th, 2008 in 日本, 中国 | Comments Off

冬期に豆腐を屋外に放置してしまった事から偶然に製法が発見されたといわれている。
俗に高野山で製造される凍り豆腐が、精進料理の一つとして全国に広まったものとされるが、実際には、東北地方にも凍み豆腐(しみどうふ)と呼ばれる同じ製法の保存食がある。

中国にも同様の食品があるので中国より伝来した可能性も高い。
寒さの厳しい地方では、場所に限らず偶然の産物として発見され、普遍的に生産されてきた食品と見られる。
高野豆腐と呼ばれるに至ったのは、江戸時代に於いて高野山の土産物として珍重されたからとも言われている。江戸時代に於いては最も流通した物がその販売地、販売者の地名を冠することがあり、これもその一つである。
高野豆腐の名称は現在では全国に広まっているがもとは関西圏で広く用いられていた名称で、甲信越、東北、北海道では凍み豆腐、凍り豆腐と呼ばれていた。
甲信越、東北、北海道で作られる伝統的な製法の凍り豆腐は、藁で数個ずつ豆腐を連ねて軒先に吊るして作るのでその形から連豆腐とも呼ばれている。
大阪ではちはや豆腐という呼び名もある。
古くは氷豆腐と表記される事もあった。
日本農林規格(JAS)では、凍り豆腐が正式な名称となっている。
寒冷地で発達した食品であることから、現在でも長野県が日本最大の生産地である。
また食感が肉に似ている事から精進料理などに良く使われている。

寒天の歴史

Posted on 3月 10th, 2008 in 日本 | Comments Off

江戸時代(徳川家綱の時代)1685年に現在の京都府伏見において、旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門が戸外に捨てたトコロテンが凍結し、日中は融け、日を経た乾物を発見した。
これでトコロテンをつくったところ、前よりも美しく海藻臭さが無いものができた。
黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励された。
同時に名前を尋ねられたが、まだ決めていなかったためその旨伝えると、隠元は「寒天」と命名したという。

その後、大阪の宮田半兵衛が製法を改良し寒天を広げる。
さらに、天保年間に信州の行商人・小林粂左衛門が諏訪地方の農家の副業として寒天作りを広め、角寒天として定着した。

1881年、ロベルト・コッホが寒天培地による細菌培養法を開発したため、寒天の国際的需要が増えた。
第二次世界大戦中は戦略的意味合いから輸出を禁止したが、第二次大戦前は寒天が日本の重要な輸出品であった。
寒天の供給を絶たれた諸外国は自力による寒天製造を試み、自然に頼らない工業的な寒天製造法を開発した。こうして作られたのが粉末寒天である。1946年になると日本でも研究が始まり1970年頃には製造会社が35社にまで達した。しかし、2004年現在は4社ほどにまで激減。

現在では、モロッコ、ポルトガル、スペイン、チリやアルゼンチン等で良質の寒天が製造されている。

カラスミの歴史

Posted on 3月 7th, 2008 in 日本 | Comments Off

カラスミ(鱲子)は、長崎特産のボラの卵の塩漬け。
ボラの卵巣を塩漬けし、塩抜き後、天日干により乾燥させて作る。
名前の由来はその形状が中国製の墨、すなわち唐墨に似ている所から付けられたというのが定説になっている。

ウニ、コノワタと併せて、日本三大珍味と呼ばれることがある。
ねっとりとした塩分の濃いチーズのような味わいは、高級な酒肴として珍重される。
薄くスライスしたり、すりおろして使用する。

日本以外では、台湾やイタリアのサルディニア島、スペインでもカラスミが名物となっている。
台湾では「烏魚子」(台湾語:オーヒージー)という。
ヨーロッパではタラやマグロなどボラ以外の魚卵のからすみも作られている。

台湾での食べ方は表面の薄い膜を剥ぎ取ってから、酒を表面に軽く塗り、弱火で裏表を一、二分ずつ繰り返し火あぶり、表面が白くぶつぶつになるまでかりかりに焼き上げる。出来上がったら、薄くスライスして食べる大根または葱と一緒に爪楊枝で刺して食べられる事が多い。

おにぎり

Posted on 3月 5th, 2008 in 日本 | Comments Off

今日では、いろんな種類が販売され身近な食べ物として変わらぬ人気を保っているおにぎり。
おにぎりは、弥生時代の中期にはすでに存在していたことが遺跡の発掘によりわかっています。
その当時は、米に十分水を含ませて、何枚か組み合わせた笹の葉で円すい形に包んで茹でたものと考えられています。
 
現在のコンビニやスーパーなどで販売されているおにぎりは、平安時代の頓食(とんじき)が起源といわれています。
この頓食は戦国時代の兵士や畑仕事の携帯食として用いられたり、お皿もいらないことから招待した客の従者へのもてなし用に利用されていたようです。
 
また、平安時代にはもち米を蒸してにぎったものが原形でしたが、鎌倉時代の末期になると、主に、うるち米のごはんが使われるようになりました。
 
その後、徐々に庶民にも浸透し、江戸時代には一般的に普及するようになりました。
明治時代に駅弁第1号としておにぎり弁当が販売されました。